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優劣
2018-06-16 Sat 21:18
優も、劣も、「劣」側に回ってこそ、今はバランスが取れるのかもしれない。


昔は適度な「優」と、とりまく「劣」がうまいバランスでくっついていた。
時代に似つかわしくない、或いは何らかのバランスを崩すと思われた優秀すぎる「極優」は出る杭として打たれ、
生まれてきたはいいが、あまりに弱く生き残れない「極劣」は、子供のうちから淘汰され、、(病気などでこの世を去り)。

そうして、適度な「優」と適度な「劣」が共存し、世界が築かれていた。
(のだと思う。)

優、は単体では存在出来ない。
優、たらしめる「劣」の存在あって「優」たれる。

王は単体では存在出来ない。
臣下、下に従う者あっての王、である。

劣、の方が生きやすいし、多数生き残れるだろう。
守ってくれる、或いは従うべき「優」を見つけ、何も考えずにくっついていればいいのだから。

優、としても、従う多くの「劣」がいるのは心地良いのだろう。
「劣」の方にとっては荷が重そうと思う"責任"も、「優」にとってはそれが当たり前というか、自身を立てる程良いプレッシャーとなっているのだろう。

陰陽。
男と女。
強者と弱者。
親と子。
君主と臣下。

昔はそのバランスがうまく回って、うまく世は動いていたのだと思う。

そして、少しずつ優秀な遺伝子が研ぎ澄まされていったというか・・・。


そして今。
「優優」の世界というか・・・。

どこを見渡しても、「優」属性で満ち溢れ、「劣」がいない。
いたとしても、「優」に食い荒らされ、瀕死の状態になっている。
淘汰されるはずの「極優」は その類稀な「優」属性を「悪」に転じさせて「極悪」になり、
本当に淘汰されるはずの「極劣」は人権というものに守られ、生き長らえている。

前のエントリーでも語ったが、もの も ひと も溢れすぎている。
ひとが溢れている。

自分の「優」を見てくれと、多くの人間が「優」を競う。

多くの優れた書物、
優れた歌、
優れたたくさんのもの

あ、これいい、
と思うものが、昔に比べて圧倒的に増えてしまっている。


10種類しか売っていないネクタイ売り場と、
50種類も揃えてあるネクタイ売り場。
売れ行きが良いのは前者なのだそうだ。

後者は、種類が多すぎて、選んでいるうちに、
「次来た時にゆっくり選ぼう」
と思わせ、結局人から買われにくいらしい。


たくさん、いいもの、目立つもの、優れたものが溢れている。
そしてそれが、息つく暇もなく、どんどん更新されている。

好きなものを「好き」と言って
揃えていた昔はどこへ行ったのか。


色んなものが溢れているけど
ひとも溢れているけど
きれいに整理整頓出来ていくといいと思う。

選んでももらえない
すごーく素敵なのに誰も気付かない。
そんなものだってひとだってきっとある。いる。

本当は「優」なのに、あえて「劣」に下っている「優」もあるだろう。
「劣」としての良さに気付かずに、ずっと「優」であり続けようとする「劣」がたくさんある、いる、気がする。

「劣」を洗練させるべきではないだろうか。


つまり、女が男になりたがり、
男が更に男たろうとする。
皆が皆、下に下がらずに前に出ようとしている・・・そんな気がする。

より優れたものを求める気持ち、
男性ホルモン性(こういう言葉があるのかどうかはあれだけど)が溢れているのかもしれない。


選んでもらいたい、
主役になりたい、
1番になりたい、
白雪姫役がやりたい

優、への想いが溢れている。

主役だけが魅力ではないし、
ステーキに添えられるサラダだって美味しい。

一番最後に食べられるジェラートが一番好きで一番楽しみだって思う人もいるだろう。

劣あっての優。

劣が多くなれば、優の良さも際立つだろう。


それだけ愛されたい(優気質?)人が多いのだろうか。

今後は愛する側に回らないとと思う。


優を求める時代は終わった気がする。


今は、劣に回らないといけないのではないか。

優も、劣も、「劣」側に回ってこそ、今はバランスが取れるのかもしれない。



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