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表現の三次元化
2018-06-16 Sat 21:12
Burgmüller:貴婦人の乗馬

あるピアノ発表会。
「(この時ず~っと先生の恋人についてからかってばかりいた・・・。
先生ごめんなさい)」
「(この曲、これ弾いたらお別れなんだー
あっ、トチった。ん~リズムがぁ(汗))」

そんな感じで弾いていた小学生の日。

し~んと会場は静まり返り、私がペコッとお辞儀をした時に拍手が起こった。
(拍手があるのは普通)

奥に引っ込むと誘導のお姉さんが
ムンクの叫び系の顔(でも変じゃない。美人です)
で「すごく良かったですよ?良かったです・・・」
と言っていました。

褒めているというよりは驚いているといった感じ。

後日、録音したテープを聴くと
(この時代はバリバリ、テープ)
リズムは乱れているわトチっているわ、
結構不恰好な感じになっていた。

特にリズムの狂いが、、若干気持ち悪い。


後日、大先生(直属の先生じゃなくて更に上のピアノの先生)が
褒めてくれた。

先生「あのね、一番良かった!(ドス!←肩)」
私「一番。ショパンの『英雄ポロネーズ』とか弾いてる人いましたよね」
先生「あんなん。だって上手に弾いてるだけじゃない
あなたには魅力があるのよ」

・・・

そこんとこ詳しく。と聞いた結果。

1、ガヤガヤガヤガヤしていたお客さんがしーんてなったのはあなただけ
2、技術とは違う、何かがあったっぽい

「トチりました!
リズムだって変に」
と言ったら

「何?完璧だったじゃない」
と白けた顔。

せ、洗脳されてる


略するが何かの陰謀かよと思えるくらい褒められた・・・
色んな人に。

んで、すっかり天狗になってしまった私は次の年、気合を入れて曲を弾きこなした。
もちろん手応えはあったし、リズムも狂わなかったしノーミスで弾けた。

が、
全然普通に終わった。

いつも通りの「ガヤガヤガヤガヤ」の会場。

何故か件のお姉さんが私のことを覚えていて
(知り合いでもないのに・・・汗)
「どうしたんですか?去年あんなに上手かったのに
いえ、今回もそりゃ良かったけど」
なんて言っていた。

(やはり思う。
何故私を覚えている・・・汗)


テープを聴いたけど、どう考えてもノーミスでちゃんと弾けている。
我ながらだけど、、
(天狗になった分死ぬほど練習した成果)


前回:ピアノを楽しく弾いていた。
発表会を忘れ、「こんな想い出あったなー」「この曲とも今日でお別れかー」と
関係ないことを考えていた。

その回:上手く弾いてやる!と意気込んで
キレイに弾くことを心掛けていた。


それ以来、あの褒められすぎた想い出を意識してしまって、どうしても体に力が入って
『自分なりの演奏』が出来なくなった、、

その代わり上手くなりたいという気持ちが出てきて技術は多少は上がったと思うが・・・。


もうひとつ。

とても心が乱れていた時にある曲を歌った。
リズムはばらばら。音程も少しズレていた。
夫は、拍手をして「ブラボー・・・」と言ってくれた。

いっつもひねくれながら「ここが惜しい」「ここが駄目かな」なんて言う夫が。
(これは誰に対しても)

「歌詞、途中で間違えちゃった」
「え?そうだった?」
「途中の××~のとこ」(こういうのめざといのに・・・

でも、それが嬉しくて別の日に頑張って歌ったら略だった。
「ちょっと声がかすれてたね」とか
駄目出しばっかり。(いつものこと)

あのムンクの叫び褒め(命名)はしてくれず。


ピアノも、歌も、頑張って「見て!」「聴いて!」って思うと全然普通。になってしまうのだろう。
人なんて気にせずに誰も見て無くても『自分を出す』という結果こそが『芸術』であり、
立体的な何かに変わるものなのだろう。

音や歌は二次元な感じがする。
絵も。文章も。

海に溺れる、圧倒的な三次元の空間。
芸術が三次元化した瞬間である。





意識せずに楽しく、、というのがいいのだろう。

楽しく、歌うように、自由に。


勿論、洗練さが失われる可能性もあるので、手直しする部分は増えるだろうが。
(一気に現実に・・・)

ピアノも歌も、私にとっては楽しくて心に残る事象である。

またああいう、芸術の女神:ミューズと出会える時があればなと思う。



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